第八十番 国分寺
国分寺について
国分寺は741年(天平13年)、聖武天皇の勅願により全国に建立された国分寺の一つとして、讃岐の地に創建された由緒ある寺院です。
行基菩薩が開基し、十一面千手観世音菩薩像を本尊として安置しました。
810年から823年(弘仁年間)には弘法大師が来錫し、本尊の修復と堂塔の増築を行い、霊場として定めました。
創建当時の寺域は東西220メートル、南北240メートルという広大なもので、金堂、七重塔、鐘楼、僧坊などが立ち並ぶ大伽藍でした。
現在も境内地の中心部には創建時の本堂(金堂)の礎石が33個点在しており、その規模は現存する奈良・唐招提寺の金堂に匹敵するとされます。
また、山門を入って右手には七重塔の礎石が残されており、もし現存していれば京都・東寺の五重塔を超える大きさだったと推定されています。
寺の至宝として知られる梵鐘は四国最古のもので、興味深い伝説が残されています。
江戸初期、高松藩主の生駒一正が田1町と引き換えに城の鐘として移設しようとしましたが、運搬には異常な人馬を要し、城に着くと鳴らなくなり、さらに城下に悪病が流行。
一正自身も病に倒れ、枕元に毎夜鐘が現れて「もとの国分へ帰りたい」と泣いたといいます。
結局、鐘を返還すると今度は少人数で軽々と運べ、戻った途端に悪病も治まり、美しい音色を取り戻したと伝えられています。
寺は天正年間(1579-1591)の兵火により、本堂と鐘楼を除いて伽藍の大半を失いましたが、生駒氏や松平氏といった歴代藩主の庇護を受けて再興されました。
現在の本堂は鎌倉時代中期の再建で、前面と背面に桟唐戸を備えた入母屋造りの建築として重要文化財に指定されています。
境内には地蔵堂や社が点在し、参道の両側には八十八ヶ所の本尊の石仏が並んでいます。
また、寺の旧境内全域は四国で唯一の国の特別史跡に指定されており、北東2キロメートルには国分尼寺跡(現在の法華寺)が所在しています。
- 創建
- 天平13年(741)
- 開基
- 行基
- 宗派
- 真言宗御室派
- 御本尊
- 十一面千手観世音菩薩
- 御真言
- おんばさらたらまきりく
- 御詠歌
- 国を分け野山をしのぎ寺々に
詣れる人を助けましませ
- 住所
- 〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065
- 電話
- 087-874-0033
- 駐車場
- 無料(20台 ※大型バス可)
- アクセス
- 公式サイト
- http://sanukikokubunji.jp/
- https://www.instagram.com/sanukikokubunji/
- 霊場会サイト
- https://88shikokuhenro.jp/80kokubunji/
- Wikipedia
- https://w.wiki/CCWf