第三十三番 雪蹊寺
雪蹊寺について
四国八十八箇所第三十三番札所である雪蹊寺は、桂浜から西へ約4キロメートルに位置し、霊場八十八ヶ所の中で藤井寺とともに臨済宗妙心寺派に属する2ヶ寺の一つです。
延暦年間(782-806年)、弘法大師によって真言宗の「高福寺」として開創されました。
鎌倉時代には「慶運寺」と改称され、この時期に名高い仏師・運慶とその長男湛慶が寺に滞在し、数々の傑作を残しました。
運慶は本尊の薬師如来像と脇侍の日光・月光菩薩像を、湛慶は毘沙門天像、吉祥天女像、愛らしい表情の善膩師童子像を制作。
これらは運慶の弟子による12神将像とともに、計16体が国の重要文化財に指定されています。
寺は一時荒廃しましたが、天正年間(1573-92)に土佐領主・長宗我部元親の庇護を受けて再興されました。
この際、元親の信仰に倣って臨済宗に改宗し、月峰和尚を開山として迎えました。
元親の死後、四男の盛親が寺を長宗我部家の菩提寺と定め、元親の法号から現在の「雪蹊寺」という寺号が付けられました。
江戸時代には「南学発祥の道場」として知られ、住職の天質和尚は朱子学南学派の祖として活躍し、谷時中や野中兼山など、多くの優れた儒学者を輩出しました。
明治時代には再び廃寺の危機に直面しましたが、名僧・山本太玄の尽力により明治17年(1884年)に再興を果たしました。
太玄の弟子・山本玄峰も著名な僧侶で、若くして失明に近い状態となった際に「心眼を開け」との師の言葉を受け、裸足で四国遍路を17回も巡りました。
その後、静岡県の三島龍沢寺をはじめ多くの寺院の再興に貢献し、終戦時には首相の相談役を務めるほどの重要な人物となりました。
このように雪蹊寺は、仏教芸術、武家の信仰、学問の発展など、様々な側面で日本の歴史に深く関わってきた寺院として、今日も多くの参拝者を迎えています。
- 創建
- 弘仁6年(815)
- 開基
- 弘法大師
- 宗派
- 臨済宗妙心寺派
- 御本尊
- 薬師如来
- 御真言
- おんころころせんだりまとうぎそわか
- 御詠歌
- 旅の道うえしも今は高福寺
のちのたのしみ有明の月
- 住所
- 〒781-0270 高知県高知市長浜857-3
- 電話
- 088-837-2233
- 駐車場
- 有料(隣接の奉神社の土地:普通車で10台、マイクロバスで5台、大型バスで3台)
- アクセス
- 霊場会サイト
- https://88shikokuhenro.jp/33sekeiji/
- Wikipedia
- https://w.wiki/CCV8