第二十七番 神峯寺
第27番札所 竹林山 地蔵院 神峯寺(ちくりんざん じぞういん こうのみねじ)
神峯寺について
四国八十八箇所第二十七番札所である神峯寺は、神峯山中腹の標高450メートルに位置し、境内からは太平洋を一望できる霊場です。
「真っ縦」と呼ばれる急勾配の山道は、かつて遍路泣かせの難所として知られ、土佐路の関所寺とされていました。
寺の歴史は古く、神功皇后(在位201-269)の時代に、戦勝祈願のため天照大神などを祀る神社として始まったと伝えられています。
天平2年(730年)には聖武天皇の勅を受けた行基菩薩が十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行いました。
その後、大同4年(809年)に弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けて霊場としました。
明治初期の神仏分離令により一時は廃寺となり、天照大神を祀る神峯神社のみが残って本尊は二十六番札所・金剛頂寺に移されました。
しかし、明治17年(1884年)に再興を果たし、大正元年には茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移すことで寺格を得て、今日に至っています。
神峯寺には、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の母にまつわる感動的な逸話が残されています。
母は息子の出世を祈願して、安芸市の自宅から寺までの往復20キロメートルの道のりを21日間も日参し、急坂「真っ縦」を登り続けたといいます。
母の深い祈りが通じたのか、土佐藩の下級武士の家に生まれた弥太郎は、後に日本を代表する財閥の総帥となりました。
境内には美しい日本庭園が整備され、季節の花々が咲き誇り、春には梅にウグイスが訪れるなど、自然豊かな霊場として今日も多くの参拝者を迎えています。
- 創建
- 天平2年(730)
- 開基
- 弘法大師
- 宗派
- 真言宗豊山派
- 御本尊
- 十一面観世音菩薩(伝行基作)
- 御真言
- おんまかきゃろにきゃそわか
- 御詠歌
- みほとけの恵みの心神峯
山も誓いも髙き水音
- 住所
- 〒781-7108 高知県安芸郡安田町唐浜2594
- 電話
- 0887-38-5495
- 駐車場
- 有料(普通車30台)
- アクセス
- https://www.instagram.com/konomineji27/
- 霊場会サイト
- https://88shikokuhenro.jp/27kounomineji/
- Wikipedia
- https://w.wiki/4mXo