第十二番 焼山寺
第12番札所 摩廬山 正寿院 焼山寺(まろざん しょうじゅいん しょうさんじ)
焼山寺について
四国八十八箇所第十二番札所である焼山寺は、標高938メートルの焼山寺山の八合目付近に位置する山岳寺院で、四国遍路の中で第二の高所に位置する札所として知られています。
険しい参道から「遍路ころがし」の一つとして数えられ、古来より「修行の霊場」とされてきました。
寺の起源は飛鳥時代に遡り、役行者(えんのぎょうじゃ)が山を開いて蔵王権現を祀り、一本杉庵を結んだことに始まるとされています。
寺名の由来には、弘法大師にまつわる興味深い伝説が残されています。
弘仁6年(815年)、この地を訪れた弘法大師が一本杉の下で休息していた際、夢に阿弥陀如来が現れ、周囲の異変を告げました。
目覚めると眼前は火の海となっており、大師は麓の垢取川で身を清めた後、「摩廬(水輪)の印」を結び、真言を唱えながら山を登っていきました。
九合目付近で、これまで度々火を吐いて農作物や村人たちを襲っていたという神通力を持つ大蛇が岩窟から姿を現しましたが、大師は虚空蔵菩薩の加護により大蛇を岩窟に封じ込めることに成功します。
その後、大師は自ら三面大黒天を彫って岩窟の上に安置し、被害を受けていた民家の安寧と五穀豊穣を祈願しました。
この出来事にちなんで寺は「焼山寺」と名付けられ、山号も水輪を意味する「摩廬山」と定められました。
焼山寺は鎌倉時代後期には後醍醐天皇の勅願所となり、その霊場としての重要性を高めていきました。
現在の境内には県の天然記念物に指定された樹齢数百年の杉の巨木が立ち並び、剣山や白髪山など四国山脈の山々を望む壮大な眺望とともに、参拝者を迎えています。
かつては険しい山道のみが参詣路でしたが、現在は山上まで車道が整備され、より多くの人々が訪れることができるようになっています。
- 創建
- 弘仁6年(815)
- 開基
- 役行者小角
- 宗派
- 高野山真言宗
- 御本尊
- 虚空蔵菩薩
- 御真言
- のうぼうあきゃしゃきゃらばや おんありきゃまりぼりそわか
- 御詠歌
- 後の世を思えば恭敬焼山寺
死出や三途の難所ありとも
- 住所
- 〒771-3421 徳島県名西郡神山町下分字中318
- 電話
- 088-677-0112
- 駐車場
- 有料(各車種あわせ70〜80台)
- アクセス
- 霊場会サイト
- https://88shikokuhenro.jp/12shozanji/
- Wikipedia
- https://w.wiki/CCUR