第一番 霊山寺
霊山寺について
四国八十八ヶ所霊場の壮大な巡礼の旅、約1,460キロの第一歩を告げる霊山寺は、日本仏教の精神性と歴史が交差する、類いまれな聖地です。
その起源は遥か奈良時代にさかのぼります。
天平年間(729-749)、聖武天皇の厚い信頼を得ていた行基菩薩が、天皇の勅願により、この寺の礎を築きました。
しかし、寺の真の精神的意味は、弘仁6年(815年)、弘法大師空海によって決定的に形作られることとなります。
空海は人間の88の煩悩を浄化し、心身の救済を目指して、この地で21日間の深遠な修法を行いました。
その際、仏法を説く一人の老師の周りに数多くの僧侶が集い、熱心に耳を傾ける光景は、インドの霊鷲山で釈迦が説法する姿と驚くほど酷似していました。
この啓示的な光景から、空海は「竺和山・霊山寺」と名付け、インドの霊山を日本に移し、仏教五穀の法則に従って四国を右回りに巡る遍路道を創造したのです。
本尊として安置される釈迦誕生仏は、白鳳時代(645-710)の貴重な遺産。
わずか14センチほどの小さな銅造でありながら、四国遍路の精神的な核心を象徴する存在です。
かつては阿波三大坊の一つとして荘厳な伽藍を誇った霊山寺は、1582年の長宗我部元親による兵火、1891年の火災と、二度の大きな災難に見舞われました。
しかし、人々の揺るぎない信仰と努力により、幾度も再建され、今日に至っています。
境内に足を踏み入れると、左手に多宝塔、鯉が泳う泉水池、大師堂が静かに佇み、正面の石段を登れば、古刹の風格漂う本堂が参拝者を迎えます。
地の利を巧みに活かした寺観の配置は、遍路者の心に安らぎと希望を静かに注ぎかけます。
毎年3月21日から10日間続く「接待講」の伝統は、四国遍路の独特な精神を今に伝えます。
和歌山から来た人々が大漁旗を掲げ、遍路者に果物やお菓子を振る舞う姿は、日本の最も美しいおもてなしの精神を体現しています。
正月の護摩祈祷、節分の星祭り、釈迦誕生会、大師誕生会と、一年を通じて営まれる法要は、霊山寺が生き続ける精神的な拠点であることを物語っています。
「発願の寺」「同行二人」と呼ばれる霊山寺は、遍路者に内なる旅、心の遍歴の意味を静かに語りかけます。
ここから始まる巡礼の旅は、単なる物理的な移動ではなく、煩悩を浄化し、魂を癒す、究極の精神的遍歴なのです。
弘法大師が創始した四国遍路の道は、今日まで1,200年以上にわたり、人々の心に深い癒しと希望をもたらし続けています。
- 創建
- 天平年間(729〜749)
- 開基
- 行基菩薩
- 宗派
- 高野山真言宗
- 御本尊
- 釈迦如来
- 御真言
- のうまくさんまんだぼだなんばく
- 御詠歌
- 霊山の釈迦のみ前にめぐりきて
よろずの罪も消え失せにけり
- 住所
- 〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
- 電話
- 088-689-1111
- 駐車場
- 無料(普通車100台、バス10〜20台)
- アクセス
- 霊場会サイト
- https://88shikokuhenro.jp/01ryozenji/
- Wikipedia
- https://w.wiki/CCSe